コンテンツとインターフェース

寒い日が続きますが、暖かい格好をする、ニュータンタンの超辛を食べるなどして皆様ご自愛為されますよう、ハヤシです。
今日は、常々から考えているコンテンツとインターフェースの関係についてお話ししたいと思います。

コンテンツってなに?

まずはこちらにある Twitter をご覧下さい。どうです?何で閲覧しましたか? Firefox? Internet Explorer? Seesmic? Tween? HootSuite? まだまだ他にもたくさんありますよね。Twitter を利用する方法はまさに驚くべき数が用意されており、こうしている今も増え続けています。

これって実際すごい事じゃ無いですか?同じツイートを読むのに”自分が便利だと思う手段”を選択する余地があるって事です。従来のブラッシュアップでは「全てのユーザーにわかりやすく、且つ使いやすい」などと考え行動してきたものが、Twitter では違うんです。
公式に「うちのリソースを解放するんで各自クライアント使って表示して下さい」としちゃってるんですね。
そうするとどうなるか、「公式の UI 野暮ったいからこれこれこういう機能を実装したクライアントを公開しました」や「リソースをこれこれこういった形で表現するウェブサービスを公開しました」と、こうなる訳です。つまり、Twitter が公開しているリソースを楽しむためのインターフェースを生み出すことが出来る訳です。

そう、”リソースを楽しむためのインターフェース”これこそがコンテンツなんです。
僕らが今までコンテンツだと思っていたものは実際にはリソースに過ぎず、インターフェースこそが本質だったわけです。

インターフェースってなに?

もっと掘り下げてみましょう、そもそもインターフェースってなんなんでしょう?操作画面?ビジュアルデザイン?使い勝手?話しやすさ?美貌?境界面?
僕は、どれもインターフェースだと思います。何かと何かの間をつなぐ何か、これこそがインターフェースです。しかも、焦点の深度に応じて、タマネギの皮をむくがごとく各レイヤーにインターフェースは存在し、それらのインターフェース同士をつなぐ何かもまた、インターフェースであるわけです。
つまり、あなたと Twitter をつなぐクライアントそのものがインターフェースであり、クライアントを通してツイートする際に文章を入力するキーボード、キーボードを叩く手、入力した文章を確認する目、確認した文章が正しいと理解する頭、これら全てがあなたにとってのインターフェースな訳です。
要するに、インターフェースとはあなたから見た世界そのものであると言える訳です。

インターフェースとコンテンツの関係

リソースを楽しむためのインターフェースこそがコンテンツであると書きましたが、それだけなのでしょうか?僕はまだもうちょっとあると思います。”リソースを楽しむ”ここがちょっと臭い。ぼやぼやっとしてますよね。明らかにするためにもう少し掘り下げてみましょう。
そもそもリソースからあなたの間にあるインターフェースって一つなんでしょうか?いや、目や耳、手も頭もありますよね。画面上に映っているウェブサイトも、それこそ OS だってリソースとあなたの間にあるインターフェースだと考えられるはずです。
そう考えると”リソースを楽しむためのインターフェースこそがコンテンツ”は、常にいくつかを複合的に体験する事で、色を混ぜるがごとくリアルタイムに生まれるコンテンツを体験しているのでは無いでしょうか。

全く同じ Twitter クライアントを、購入時期が5年違う2台のコンピュータでそれぞれ利用する事を思い浮かべて下さい。どちらの方が快適か容易に想像出来ますよね。
その快適さって、Twitter でツイートしているときには「ツイートする快適さ」じゃないですか?だとすると、ツイート専用キーボードや、それこそツイート専用マンションだって考えられるわけですよね。しかもどちらもあなたと Twtitter の間にあるインターフェースであるわけです。

実際、この事を逆手に取った「リソースを公開してインターフェースを増やす事でコンテンツを増やす」という Twitter の戦略は革命的です。Twitter 以前に「クライアントは複数あった方がコンテンツが増えるから良い」なんて考えられていた人がいたら僕は純粋にすごいと感じるし、尊敬します。

ユビキタスのようにただ「そういう世界がくるんだよ」「そういう世界がくると良いね」と論じているだけではなく、実際に戦略として選んだ価値は計り知れません。
Twitter 以前と Twitter 以降では僕らのウェブサービスに対する視点も違います。
Twitter 以前には「mixi 使いづらいから僕は使いません」だったのが、「Facebook にこういう機能欲しいんだけど、クライアントないの?」と Twitter 以降叫ばれるようになりました。もうコンテンツは利用者が生める世界になったという訳ですね。

これからのコンテンツ

じゃあ今後はどうなっていくんでしょう?僕は”自分対その他”のフォーカスがどんどんどんどん広角になっていくんだと思います。それこそ自分がどこにいて誰なのかわからなくなるくらいに。
そんな世界において、自分がコンテンツを楽しむフックになるものってなんでしょう?僕は「実在性」だと考えています。
マイノリティリポートという映画をご存じでしょうか。僕の次にかっこいいトムクルーズが、これまたかっこいい未来世界を舞台に活躍する映画なので、見てない方は是非見て下さい。僕はこの映画で気付きました。

マイノリティリポートでは、人が柱の前を通り過ぎるだけで個人に最適化された広告が表示されます。これはネットワークに接続されたカメラが人間を感知し、網膜をスキャンすることで個人を認証しているというからくりなのですが、これです。これこそがこれからの世界です。世界とあなたをつなぐインターフェースは合理化の果てにユビキタスへと到着し、集団をまとめるのは計算機科学、あなたと世界を結ぶインターフェースはあなた自身、このように世界とあなたの間にある無駄なものが綺麗さっぱりと取り除かれた世界に、未来はなっているはずです。

それこそ実名か匿名かなんて個人間の認証をコンピュータが代替えしてくれればそれで済むような、そんな世界がこれからやってくるわけなので、僕ら作り手としてはパソコンやインターネットに固執せず、現実に存在する様々な事象にも目を向けて、何ものにもとらわれない自由な発想で世界と僕らを結ぶ糸を紡いでいくべきだと僕は思います。

やばい、ちょっとかっこいい事言いすぎたので今トムクルーズと1馬身差が開きました。
このまま逃げ切りたいと思います。